スティーブ・ジョブズの早すぎる死で世界は停滞した
【連載】「あの名言の裏側」 第8回 スティーブ・ジョブズ編(4/4)職人的なモノづくりの原点
ジョブズの反論
ジョブズは父親から「優れた工芸品は見えないところもすべて美しく仕上がっているもの」と教えられたのだとか。この職人的なこだわりは、後のジョブズのモノづくりにも大きな影響を与えたと言われています。
たとえば、パソコンの内部にある基板。チップやファンといった部品が載せられた基板は通常、パソコンのケース内に納められており、ユーザーの目に触れることはありません。しかしジョブズは、基板の配線ひとつ、載せられるパーツひとつにこだわりを見せたといいます。技術者のなかには、そうしたジョブズのこだわりに反論する人間もいました。そもそも人目に触れることなどほとんどない部分であり、大切なのはちゃんと機能すること。美しさは必要ないのでは、と。
ジョブズは、このように反論しました。
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できるかぎり美しくあってほしい。箱のなかに入っていても、だ。優れた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない。
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ I』より)
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人目につかないところにも一切の妥協なく、丁寧な仕事を積み重ねていく。たとえ誰からも気づかれなくとも、自分が納得できる仕事を怠りなく続ける。このような姿勢は、極めて職人的です。
職人は、偏屈でも、無愛想でも、融通が効かなくても構わない。傑出した成果物さえ生み出してくれれば、それだけでいい──そんな捉え方があります。多少、社会性に乏しくとも、アウトプットさえよければ。それで十分。そんな職人の世界のことを、人々はときに羨んだり、憧れたりするものです。もちろん、結果を出すことができなければすぐに評価を落としてしまう厳しい世界ですが、だからこそ、職人は何事にも屈しない力強さや孤高の気概を持っているのでしょう。そんなギリギリのところで勝負をしているがゆえに、優れた職人の生み出したものは、美しいわけです。
ジョブズのモノづくりは、極めて職人的です。しかし、ただ職人的であるだけでなく、傑出したビジネスパーソンとしての才覚も兼ね備えていました。そして人々は、そうしたジョブズの強烈な個性に、哲学や思想を見出しました。2011年、ジョブズは56歳で早世してしまいますが、早すぎる死がジョブズの存在感をさらに崇高なものにした一面もあるでしょう。
しかしながら、一方で、ジョブズは「自分がほしいと思ったものをつくっただけ」とも評されています。「こういうものがあったら便利だな」「どうせ持つなら、こういうデザインのもののほうが楽しいだろうな」──そんな、非常にプリミティブな衝動から、自由に発想し、わがままにモノづくりをしていただけ。そんな、無邪気で愛すべきキャラクターという面も、ジョブズにはありました。
ジョブズ編の第1回でも述べたように、スティーブ・ジョブズという人物は、良くも悪くも「極端」な存在でした。そして「極端」だからこそ、革新的な製品やサービスを世に送り出すことができたのも、また事実でしょう。
彼が夭逝することなく、いまも、これからもモノづくりを続けていたら、果たしてどんな「価値」を世界にもたらしてくれたのだろう……。タラレバの話をしても詮無きことですが、ジョブズという個性がこの世からいなくなってしまったことで、世界は多かれ少なかれ停滞してしまったのかもしれません。
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